刺繍工芸 竹内のあゆみ


竹内 功(たけうち いさお) 昭和19年(1944年)

東京都足立区千住河原町に生まれる。7人姉弟の長男。
戦後、近くに幼稚園がなかったため、町屋にあったドンボスコ幼稚園に入る。
千住第二小学校(現在は千寿小学校)
日本大学第一中学校・高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業

父、竹内 平(たけうち たいら) 明治31年(1898年)
千葉県市川市大町に生まれる。6人兄姉妹の次男。
自分の選んだ道へ進むため、東京日本橋へ出る。

長男は跡取りとして大町に住みました。
お寺さんが焼けたので26代以前のことは分かりませんが26代続いているそうです。
父の実家は、竹林、梨の果樹園、フィールドアスレチック、梅、栗畑等々を家業としており、いつも綺麗に整理整頓されています。
竹林に囲まれた、とても気持ちの良い場所で、千住からも近いので気分転換に良く行くところです。
竹林のある山は、昨年、市川市の景観賞を頂きました。

大自然に恵まれ育った父が、何故東京へ出たかというと、刺繍のハンカチを見せてもらった時に「綺麗だなぁ」と思い、自分でも作ってみたいと思ったことがきっかけだそうです。

昭和3年、千葉県市川市下貝塚に住む、はつ と結婚。
(明治39年生まれ98歳老衰にて千住宮元町の自宅で亡くなる)
父は、母と結婚する頃には台東区根岸で刺繍職人として身を立てていて、根岸の家には2階に弟子たちが住み込み、着物の半衿の刺繍を専門としていました。

昭和6年、千住河原町に家を建てます。
私が幼い頃から、主に秋田からの住み込み職人がおり、多い時で20人、外出し10人、また忙しい時にだけ頼む渡り職人さんも居て、人の多い賑やかな家でした。

私が10歳の時、父が58歳で亡くなり、父が亡くなる前に一番まじめだった 故、柿崎政治(まさじ)を長女の養子に迎え、竹内の2代目を継いでもらいました。
私は昭和50年から千住宮元町に住み、義兄が亡くなった後、3代目として現在に至ります。

戦前、半衿専門だった頃の、素晴らしい半衿の型紙は、私の手元に家宝として残っています。
戦後の話ですが、父と親交の深かった 故、木村信三朗氏は、京都のご出身。
木村信三朗氏は、画家、梅原龍三郎氏の生家である。
悉皆屋さん(今風に言うと着物の総合プロデュース)で修業をした方で、絵も描き、書も書き、刺繍も出来た方です。

信三朗氏は、東京都千代田区飯田橋で、千代田染繍という悉皆屋の会社を作ります。
その頃は千代田染繍の職方として、東京の北秀、京都の千總の黒留袖、色留袖、訪問着への刺繍をしておりました。
信三朗氏にはとても可愛がられましたが、厳しい一面もあり色彩感覚など厳しく指導されました。

現在は、各地の三越・伊勢丹を中心に、定期的に実演と販売をさせて頂いています。
白生地選びから生地の色、糸の色選び、図案から全て自分の考えで作っております。
伝統の技を守り伝えると共に、世代を超えても大切にされるような ものづくりをしてまいりたいと考えております。

今後も、周りの方々に支えられていることに感謝をし、日々精進してまいります。